天拝山(てんぱいざん)。なんとも謂れのありそうな山名である。
福岡県筑紫野市にそびえる、この小さな山で天に拝んだとされる人物こそ、言わずと知れたレジェンド菅原道真公だ。
道真の死後、関係者が次々と不可解な死をとげるなどして、祟りとして恐れられたのは有名だが、その祟りとされる事象が起きた時期を皆さんはご存知だろうか。
最初の頃こそ、道真の死後数年の出来事なのだが、道真の怨霊としての地位(?)を確実なものにしたとされる醍醐天皇の皇太子の死は道真の死後20年も後のことである。そして、決定的な事件とされる清涼殿への落雷事件が起きたのは道真の死後27年も経った後のことだ。
いやもう関係なくね?30年近く前の事ですぜ?
さらには、なんと道真の死後90年以上経って流行した疫病でさえ道真の祟りとされたこともあったようだ。
昭和初期に死んだ誰かの祟りで、コロナ禍が起きたと考えるような人が一体どこにいるだろうか。
それだけ、藤原氏を始めとした関係者は道真に対して後ろめたい気持ちを抱いていたのだろう。
そんな菅原道真が、自らの無実を訴えるために度々登って拝んだとされるのが天拝山だ。
もしかすると、その思いが天に伝わり(道真の望んだ方向性とは違ったかもしれないが)、彼に関わった人物達を恐怖に陥れる結果に繋がったのかもしれない。
そう思うとこの小さな山にも畏怖の念のようなものを感じてしまうのだ。
今回は天拝山歴史公園の駐車場に車を停めて登った。僕自身高校生の頃以来の天拝山だが、当時に比べるとかなり登山者が増えたように感じる。
歴史公園の駐車場はほぼ満車で、次々と登山者が登っていく。
今回登った際にどこかの看板に書いてあって知ったのだが、天拝山は元々今のような樹林ではなく、ススキに覆われた山だったらしい。
これを江戸時代くらいの頃に黒田藩か何かの施策によって植林が進められ、今のような姿になったのだそうだ(曖昧な記憶)。
確かに、都を追われた平安貴族が登るのは、森に覆われた山よりもススキがそよぐ丘の方が似合う気もする。僕もそんな光景を見てみたかった。
前半は緩やかな道、後半は階段が主体の登山道を30分程度歩くと山頂に到着する。
山頂には展望台があり、今回は遠く玄界灘まで見渡すことができた。
菅原道真が唐の衰退などを理由に廃止を訴えた遣唐使は、現在の大阪辺りを出港した後、ここから見える那の津(博多)に寄港して中国大陸へ渡って行ったそうだ。
道真の死の数年後に唐は本当に滅亡する。
先見の明のあった道真。彼はこの山頂から海を眺め、何を思っていたのだろうか。